施設のご案内Guidance

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医学部系統解剖講義室(旧解剖学講堂)は明治35年(1902年)に京都帝国大学の解剖学教室講堂として竣工された木造平屋建て(寄棟造り桟瓦葺)の建築物で、京都大学歴史的建造物に指定されています。以前は学生の講義等に使用され多くの皆様の思い出に残る建物でございましたが、老朽化のため近年は使われておらず、外観だけが維持されてきました。

このような歴史を持つ旧解剖学教室講堂は、大変多くの皆様から温かいご寄附をいただきまして、「基礎医学記念講堂・医学部資料館」として平成26年(2014年)2月に新たな門出を迎えました。

現在、記念講堂は学生の講義にとどまらず、様々な行事、公開講座などに使用しています。今後も末永く皆様からのご芳情に報いることができますよう、歴史あるこの建物を大切にしてまいりたいと思います。

耐震機能改修工事の概要

旧解剖学講堂(明治35年築)は当時、文部省建築課京都出張所長をしていた山本治兵衛の設計によるもので、下見板張りの外壁、寄棟和瓦葺きの屋根、半円形断面の屋根窓、矩形の縦長窓などの意匠を残す趣のある建物であったことから、出来る限り昔のままの意匠を忠実に復元し、耐震を含めた改修をしました。
階段教室は一般講義室として再生し、古い空間の中に、プロジェクター、スクリーン、音響機器等を設置して、現代的な講義機能をもたせました。また、階段教室の裏側は医学研究科の歴史資料等の展示室として改修しました。

耐震補強 外壁のデザインを一切変更することなく、内部側に補強材(筋交い)を入れました。
外壁 長年の風雨にさらされて創立当初の色が落ちて白くなっていたが、劣化の少ない軒裏などの既存部材をもとに当時の色を忠実に復元し塗り替補修しました。
屋根 古い瓦を全面葺き替えるとともに、半円形の屋根窓の銅板等の補修、レンガの煙突の補強等を行いました。また、鬼瓦は当時のデザインをそのまま復元しました。
講義机 今の学生の体格に合わせて前後間隔を広げ、ノートパソコンが使えるように1席ずつコンセントを設置しました。また、幕板を取り付けることにより、以前の机のデザインを踏襲しながら、格調を演出しました。
階段手すり 創立当初の部材を取り外して補修し、新たに階段を作り直した後に再設置しました。
シャンデリア 創立当初のシャンデリアはすでに撤去されてありませんでしたが、本学人文科学研究所の図書室に設置されていたものを寄贈して頂きました。

(設計者)山本治兵衛について

明治40年に新設された京都帝国大学建築部(現在の施設部)の部長 に就任し、大正8年に現役のまま逝去するまで京都帝国大学に多大なる業績を残しました。

西側入口(改修前)

階段教室(改修前)

教室下通路(改修前)

耐震補強材

階段教室(改修後)

人文学寄贈シャンデリア

展示物

荒木寅三郎先生の胸像

母子像

我が国での産婦人科黎明期に作られた新設の産婦人科病棟にシンボルとして飾られた貴重な母子像(芸術院会員 斉藤素厳 制作)

心電計

京都大学医学部には田附政次郎などパトロン的存在であった近江商人がたくさんいました。彼らは「陰徳善事」(目立たぬ寄付行為)により種々のものを寄贈しています。その一つである大正期の心電計です。

京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑(模型)

広島への原子爆弾投下の後、診療、調査研究に赴いた調査班が、滞在先の大野陸軍病院で枕崎台風による山津波に襲われ、医学部・理学部の教官・学生11名が多くの患者と共に犠牲となりました。その冥福を祈るために、昭和45年、現地に記念碑を建立し、毎年9月に慰霊祭を行っています。

解体新書(複製)

我が国医学史上最重要貴重書の1つである解体新書 原本は京都大学医学図書館所蔵

高橋和利講師と山中伸弥教授のディスカッションメモ

高橋和利講師と山中伸弥教授のディスカッションメモとiPS細胞が樹立されたことを示す写真。

藤浪先生の黒板

藤浪鑑先生自筆の記録が残る黒板

剖検台

藤浪鑑先生自身も剖検を受けられた剖検台