
2026年1月1日付けで、京都大学大学院医学研究科 生体制御医学講座 分子細胞生理学分野の教授を拝命いたしました、樽野陽幸と申します。着任にあたり、謹んでご挨拶申し上げます。
私は2001年に京都府立医科大学医学部医学科に入学しました。基礎医学の教科書に記述された精緻で美しい人体のしくみに強く心を惹かれ、さらに、それらの知見を切り拓いてきた研究者たちに思いを馳せる中で、「自分にしか書けない教科書の一行を加えたい」と考えるようになり、基礎研究の道を志しました。学部生時代には、京都府立医科大学の丸中良典教授(当時)が主宰されていた細胞生理学教室において、上皮膜のイオン輸送機構の研究に携わりました。その経験を通じて、生命現象をリアルタイムに計測し、機能として理解していく生理学の学問的魅力に強く惹かれるようになりました。
2007年の大学卒業後は初期臨床研修を経ることなく、直ちに京都府立医科大学大学院医学研究科に進学しました。大学院在学中には、生理学の理論と研究技術をさらに深めるため、大森治紀教授(当時)が主宰されていた京都大学大学院医学研究科 神経生物学分野に特別研究学生として受け入れていただきました。久場博司講師(当時、現・名古屋大学大学院医学研究科 細胞生理学 教授)のご指導のもと、電気生理学的手法を学び、聴覚を司る蝸牛神経核におけるシナプス伝達の研究に取り組みました。突然のお願いにもかかわらず温かく迎え入れてくださった大森先生、久場先生には、今なお尽きることのない感謝の念を抱いております。また、当時の京都大学に息づく自由闊達な研究環境は、その後の私の研究スタイルにも大きな影響を与えていると感じています。
2010年に学位を取得後、ペンシルバニア大学医学部生理学部門において、J. Kevin Foskett教授の研究室に博士研究員として参画しました。当時、アルツハイマー病との関連で発見されたばかりのイオンチャネルCALHM1の生理機能解明を目指す中で、同分子が味蕾の味細胞から神経へ味情報を伝達するために必須の分子であることを見出しました。
その後、2013年に京都府立医科大学大学院医学研究科 細胞生理学分野の助教として着任し、2014年に講師、2018年に教授を務めてまいりました。この間、味蕾における甘味・苦味・うま味の神経伝達の分子機構の解明に取り組み、神経伝達物質はシナプス小胞の開口分泌によって放出されるという古典的概念に対し、味細胞がチャネル分子のポアを介して神経伝達物質を放出するという、全く新しい神経伝達様式を明らかにしました。私は、この新様式を従来の小胞性シナプスに対して「チャネルシナプス」と命名し、第2の化学シナプス様式としてその普遍的重要性の解明を目指して研究を展開してまいりました。
近年、チャネルシナプスの全身スクリーニングにより、咽喉頭上皮に嚥下や咳嗽などの気道防御反射を惹起する新たな感覚細胞を同定しました。これにより、迷走神経線維が唯一のセンサーであるとする古典的概念に代わり、迷走神経とチャネルシナプスを形成する上皮細胞が感覚器官として機能するという新しい枠組みを提示しました。嚥下障害や慢性咳嗽はいずれも臨床医学における重要なアンメットニーズであり、これらの成果はエンドタイプ特異的な診断・治療技術の開発につながる可能性を秘めています。また、長年の謎であったナトリウムに対する塩味受容の分子細胞機構についても解明に成功し、ここにもチャネルシナプスが関与していることがわかりました。ナトリウムの過剰摂取は高血圧との関連があり、塩味機序の理解は減塩社会への貢献が期待されます。
意識にのぼるか否かに関わらず、人体は内外のさまざまな環境変化を感知し、それに適切に応答することで恒常性を維持しており、その破綻は様々な疾患を引き起こします。しかし、感覚機能にはなお既成概念では説明しきれない多くの未知が残されており、未発見の感覚細胞の存在も想定されます。さらに、感覚細胞から脳へ送られた情報が、どのような神経回路機構によって統合され行動へと結びつくのかについても、その大部分は未解明です。今後も京都大学の自由闊達な学風のもと、流行に迎合することなく、逆風に晒されがちな新たな概念を提唱する「ゼロから一を生み出す生理学研究」を着実に推進し、学問の発展に寄与すべく、教室員一同邁進してまいります。また、Physician Scientistはもとより、将来の基礎医学研究を牽引する人材を育成してきた京都大学医学部の伝統に恥じぬよう、人材育成にも一層力を注いでまいります。
何卒、よろしくお願い申し上げます。