【リレーエッセイ】歴史とAI(人間健康科学系専攻先端基盤看護科学講座ビッグデータ医科学 奥野 恭史 教授)

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私が京大にお世話になってから、もう二十七年になる。例にもれず、物理的に大学にいた時間そのものはそれほど長くないかもしれないが、人生の約半分を京大とともに過ごしてきたことになる。
世知辛い時代になり、京大もかつての「京大らしさ」を随分失ってしまったように思うが、それでも私は京大が大好きである。そして、京都の景色や街並み、その奥行きの深さに今でも心が惹かれる瞬間がある。
今回は、歴史好きの私が「自分なりの京都の楽しみ方」について語ってみたい。

京都の街中を何気なく歩いているときに、その地の由来が書かれた標榜と出会うと、つい足を止め、その時代を空想し想いをはせてしまう。この感覚は、歴史好きなら分かってもらえるだろう。そんな人間にとって、京都はまさに「タイムトリップ妄想」の理想郷である。言うまでもなく、京都は平安から明治維新に至るまで、日本史の重要な局面の舞台となってきた。
歴史にあまり関心のない読者のために、昔、京大の地で何があったのかをひとつだけお話しておこう。
私が最も敬愛する平清盛の時代(平安末期、1090年ごろ)――当時、京大の地は洛外にあたるが、京大病院の南側、現在の熊野寮あたりには白河上皇のお屋敷があった。つまり、天皇を退位したのち、上皇がこの地で院政を行っていたのだ。
そして1156年、熊野寮は歴史の転換点の地となる。平清盛が初めて歴史の表舞台に登場した保元の乱。そのとき清盛の敵方、崇徳上皇方が陣を構えたのが、まさに今の熊野寮なのだ。平安の御世には崇徳上皇軍が立てこもり、九百年近くの歳月を経て昭和には学生たちが立てこもる――いとおかし。
保元の乱に続き、平治の乱で源氏を倒した清盛は政治の頂点に昇りつめ、武士の世となる鎌倉時代へとつながっていく。その後も京都はたびたび戦乱に巻き込まれ、明治維新で武士の世が終わるとともに、天皇が東京へお引越しをされることとなる。

京都御所を散歩コースにしている知人が、こんなことを言っていた。
「御所から見上げる空は、平安時代の貴族が見ていた空と同じだ」と。
厳密には当時の御所は今より少し西にあったのだが、そんなことはどうでもいい。なんともロマンチックな話である。千二百年以上も前から、この地に人が立ち、喜びも怒りも悲しみも抱きながら、同じ空を見上げてきたと思うと、なんとも愛おしい気持ちになる。

『源氏物語』や『平家物語』を読むと、人の愛情も嫉妬も憎悪も名誉心も、根本は昔も今も変わっていないと感じる。むしろ、美しいものを素直に美しいと思い、我慾のままに生きる純粋な心は、時代とともに退化しているのではないか――そんな気さえする。
科学文明が進歩する一方で、我々は人間らしい大切な何かを失っているのではないか。よく言われる月並みな話だが、歴史を振り返るとつくづく実感する。
特に、私の研究テーマであるAIは、その「最終決定打」の一つかもしれない。少し原理的なことを言うと、AIは人類の過去の営みから生まれてきた膨大なデータを学習しており、最近のChatGPTに代表される言語生成AIは、過去から現在に至る人類の集合知をもとに、最も平均的な考え方を言語として表現してくれる。
そのため、AIの言う通りに生きれば、平均的で、何となく安心感のある日々を暮らせるかもしれない。
ただし、生成AIによって思考を放棄する人間が、確実に増えていくだろうと危惧せざるを得ない。

一方で、AIが私たちの機械的作業を自律的に行うことで、日々メールとにらめっこする時間が減り、人間にしかできないことに時間を使える日々が取り戻せるのではないかと、私は考えている。
AIと真正面から向き合い、人間が本来の心を取り戻し、さらに「心を進化」させていくことができれば、少なくとも今よりはいい世界が待っているのではないかと思う。いや、そう思いたい。(もっとも、「心の進化」とは何か、私にもよくわからないが。)

AIはすでに「歴史を学ぶ存在」であり、やがて「歴史をつくる存在」となる時代がすぐそこまで来ている。
最後に、“推しキャラの言葉”で締めくくりたい。
生殺与奪の権をAIに握らせるな!! 人もAIもみんな仲良くすればいいのに


URL:
京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻先端基盤看護科学講座ビッグデータ医科学

https://www.med.kyoto-u.ac.jp/research/field/doctoral_course/ns1401
https://clinfo.med.kyoto-u.ac.jp/

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