【リレーエッセイ】PD-1から学んだ二つの教訓(医学専攻遺伝医学講座遺伝分子学 篠原 隆司 教授)

お知らせ

「君、PD-1のヒトホモログを取らないか」と提案を頂いた。当時は細胞死研究が全盛の時代であり、PD-1は石田靖雅先生がサブトラクション法で単離した細胞死関連分子である。私は大学院1年生として分子生物学の練習にこの研究に取り組んだ為に科学的な貢献は全くないが、予期せずこの初めてのプロジェクトの劇的な展開を目の当たりにする幸運を得た。

科学の発見というのは歴史を振り返ると必然に見えるが、前線は暗中模索である。PD-1は細胞死に関わるという触れ込みだったが、私の入学時には遺伝子欠損マウスには異常はないことが分かっていた。幸い私はヒトPD-1 cDNAを同定後、2q37.3にマップし正式遺伝子名としてPDCD1を頂いた。これが私の最初の論文で、PD-1に関する2本目の論文であった。

しかし周囲の反応は厳しかった。マウスとヒトでの保存は60%と低く、重要ではなさそうだと言われた。学振の面接では「去年も同じようなテーマで申請があったが、採択されなかった。どうして君はこの分子について研究するのか」と尋ねられ弱った。先輩の2報のPD-1論文は共に国内雑誌に拒絶されてしまう。遺伝子改変しても効果がなく、本庶先生提案のブレインストーミングでは誰の発言もないまま、細胞死グループは細胞死を起こして解散したと揶揄された。PD-1でノーベル賞と言うと気でも違ったと思われただろう。

留学後に本庶研の助手として雇って頂いた際に、「君、PD-1をやっていたのであれば、PD-1グループの面倒をみてくれないか」と言われ、研究には直接関わらなかったが、班会議での発表や報告書の提出などをこなした。その頃PD-1の抗がん作用が見つかるも、研究室では黙殺された。余っていたPD-1マウスは学生実習の材料となり「先生、これは何の遺伝子ですか」と問われ絶句した。その後は皆さんのご存知の通りである。

ここから私は二つの教訓を学んだ。まず、人の評価は当てにならないということだ。ハーヴェイは友と患者を失い、ジェンナーは嘲笑された。時と共に重要な発見は浮かび上がるというのが科学の面白いところだ。ただ、それまで信じて辛抱できるかというのが問題だ。もう一つは研究は数でないことか。軍隊式の短距離走の研究も研究だが、PD-1では誰も急いでなかった。抗がん作用の発見までに関わったのは10年で6名である。総勢50名の研究室でたった一人で研究が続いた時期もある。こんな小さな種でも花開くことがあるのだ。


URL:
京都大学大学院医学研究科医学専攻遺伝医学講座遺伝分子学
https://www2.mfour.med.kyoto-u.ac.jp/~molgen/research_summary.html

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