【リレーエッセイ】有難う!アベマキの大樹(医学専攻生体構造医学講座機能微細形態学 斎藤 通紀 教授)

お知らせ

今年の夏も暑い。私は暑い夏が好きだった。多くの男子がそうであるように、私も、子供の頃、虫採りや魚採りが大好きで、夏はその季節だからだ。私は、兵庫県尼崎市で生まれ育ったが、私が小学生だった1970年代終わり・1980年代初め当時は、まだ周りに田んぼや原っぱ、小さな森が残り、そうした場所でよく遊んだ。だが、すぐ近くにはカブトムシやクワガタの採れる場所はなかった。そんな中、父が、川西の奥にある多田銀山でカブトムシやクワガタがよく採れることを聞きつけ、毎夏、家族で銀山に虫採りに行くのがとても楽しみであった。銀山入り口の旧代官所で頂いた冷たい麦茶が美味しかった。

そんな私も、中学・高校・大学と進学するにつれ、これも多くがそうであるように、勉学やクラブ活動、将来の方向性に考えを巡らせることにほとんどの時間を割くようになり、子供の頃の遊びに思いを馳せることは無くなった。京都大学医学部時代の様々な経験から、私は研究者となることを志し、医学部卒業後すぐに大学院に進学、その後イギリス・ケンブリッジに留学し、2003年の春に、運良く、神戸に新設された理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター(理研CDB)のポストを得た。この頃長男が生まれ、また、5年後には長女に恵まれた。

神戸時代は、CDBの優れた環境のもと研究に集中し、また、小さかった子供達と楽しい時間を過ごした。長男が3, 4歳になると、忘れかけていた子供の頃の遊びを思い出す。幸い、近くに住吉川という清流が流れ、暑くなると、日曜の度に長男を連れて住吉川に行き、カワムツやアブラハヤ、藻屑ガニを捕まえた。こうなると、次はカブトムシ!、となる。そこで父に連れられた多田銀山を思い出した。神戸からは、六甲山トンネルを通り三田を越えて1時間程の行程となる。日の出前、昔の記憶を辿り、確かこの樹だったよな、とカブトムシやミヤマクワガタを長男と探すのは楽しく、毎夏のイベントとなった。CDBには、京大理学部動物学教室出身で進化形態学を専門とする倉谷滋さんがおられ、その所蔵する日本や世界の昆虫採集標本には圧倒された。

2009年に母校に着任することとなり、家族で修学院の妻の実家に上がりこませて頂くこととなった。比叡山麓の修学院は、東に少し登ると曼殊院や詩仙堂がある、自然・文化ともに豊かな場所だ。ちょうどこの頃、CDB所長の竹市雅俊先生から、 “MUSHI”というタイトルのメールがあり、「なんだこれは ??」、と開いたところ、「今度研究室メンバーで虫採りに行くので、斎藤さんがカブトムシを採りに行く銀山の樹を教えてほしい。」とのこと。竹市さんと言えば、京大理学部時代、教授の岡田節人先生と大原で珍しいカミキリムシを探しているうちに、ついうっかり教室のミーティングを忘れてしまう程の昆虫好き、と伺っていたので(記憶違いなら申し訳ございません!!)、これは重要な要件だ、と思い、樹の位置を示す図をできる限り正確に描いて、すぐに返信した。後程お会いした際に、「すぐにわかったよ。有難う。」と言われ、良かった!と思ったのを思い出す。

そんな中、ある夏の夕方、小学生になった長男と、「近くに良い樹はないかなあ」、と曼殊院あたりを散策した。曼殊院入り口横の武田薬品京都薬用植物園正門に来ると、門衛さんが、「昨日ここの水銀ランプに飛んできたカブトムシ捕まえといたんで、あげますわ」と言われ、カブトムシを頂いた。お話しすると、「ちょっと上がったところにあるアベマキの樹に昔はいっぱいカブトムシがついとった。近頃はずいぶん減ったかなあ」とのこと。これは早速探してみよう!と、まずは昼間にその樹を探した。曼殊院すぐ手前のお堂裏手の池の周りを歩くと、鬱蒼と茂った、樹液をタラタラと流す大木があり、コクワガタやスズメバチが群がっている (図1)。この樹がそのアベマキの樹に違いない、と夜に再び長男と出かけてみると、首尾よく樹液に集まるカブトムシを見つけることが出来た。

以来、この樹にはよく通った。夏の夜、仕事帰りに気が向くと、「今からちょっとカブト探しに行く ?」と息子や娘を誘い、1時間程アベマキの周りをうろうろとし、虫に刺されながらも、カブトムシやノコギリクワガタを捕まえて楽しんだ。教室のメンバーも、お子さんが年頃になると、この樹にカブトムシを探しに行くようになった。皮膚科の椛島健治さんと夜に待ち合わせて一緒に見に行ったこともある。娘が小6となり、夏休みの自由課題に悩んでいたので、「パパが7月8月と毎晩同じ時刻にアベマキの樹に通ってカブトムシが何匹いるか記録するから、それまとめて課題にしたら ?」と提案し、勝手に毎晩アベマキの樹に通って、見つけたカブトムシを全て携帯写真で撮ったりもした(結局娘には課題として採用されなかったが、、、) (図2−7, 動画1)。こうして曼殊院のアベマキの樹は私の大事な場所となった。

その翌年のことである。教室の秘書さんが、「先生、昨日うちの旦那がアベマキの樹に行ったんですけど、樹液が出ていなくて、ムシもいませんでした。」という。「え、そんなことはないでしょう。」と言いつつも、信頼する秘書さんの話だ。私も見に行くことにした。すると、確かに樹液が出ておらず、昼間あんなに簡単に見られたコクワガタさえいない。よく見ると、樹の幹に、どう見ても人工の、樹幹の中心に届く程の穴が数ヶ所開けられている。理由はわからないが、人工的に枯死させられたのか、、、。

何故かはわからない。理由はあるのだろう。ただただ私はショックを受け、焦り、とても悲しくなった。樹の周りを何度も周ったがどこからも樹液は出ておらず、ムシも見当たらない。暫くして、わけのわからぬまま諦念し、樹の周りを去り、遠くから眺めてみた。すると、周りの樹々は夏の緑で深く覆われているにも関わらず、一際高く聳えるそのアベマキの大樹のみが枯れ、枝の先まで全く葉がついていないことがわかった。私は、未だ実感の湧かぬまま、ただとても悲しい気持ちで、これまで有難うございました、、、とアベマキの樹にお辞儀をした。自然に涙が溢れたのを覚えている。

その後何度かアベマキの樹を訪ねたが、同じ状態のまま立っている。本当に残念ではあるのだが、樹がまだ残っているのは嬉しい。教室の秘書さんも、「先生、うちの旦那が吉田山にカブトムシが沢山いると聞きつけました。」とのこと。実際、京大真近の吉田山山頂ではクヌギやナラなどの落葉広葉樹が保全されているようである。また、准教授の大田さんが曼殊院近くでカブトムシが集まる別の樹を見つけられた。曼殊院のアベマキの大樹にはもうムシは集まらないが、京都大学は変わらず自然に恵まれた環境の中にある。こうした環境の中で医学・生命科学の研究に関われるのは素晴らしいことだ。一方で、今年を含め最近の夏の暑さが異常なのは間違いない。自身を取り巻く世界を変化させ続けるヒトの活動はどこに辿り着くのか、そうしたヒトの形質はこの先どう「進化」しうるのか、これからの医学・生命科学の最も重要なテーマの一つではないか。


URL:
京都大学大学院医学研究科医学専攻生体構造医学講座機能微細形態学
https://anat.cell.med.kyoto-u.ac.jp/index.html
ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)
https://ashbi.kyoto-u.ac.jp/

図1: 曼殊院のアベマキの樹 (2019年7月)。
私が最初に訪ねた際は、左に伸びる、幹とよべる太い枝が残っていた。
図2: アベマキの樹に来たカブトムシ(雄)(2019年7月)。
図3: アベマキの樹に来たノコギリクワガタ(雄)。
カミキリムシの一種(右)とカブトムシ(雌:左下)もいる (2019年8月)。
図4: アベマキの樹に飛んで来て、まずは小枝に止まったカブトムシ(雄)(2019年8月)。
図5: アベマキの樹の苔の上に来たノコギリクワガタ(雄)(2019年8月)。 図6: アベマキの樹に来たカブトムシ(雌3匹)(2019年8月)。
図7: アベマキの樹に来たカブトムシ(雄)。右上羽の一部が欠けている(2019年8月)。 動画1: アベマキの樹で交尾をするカブトムシ (2019年8月)。

 



 

 

 

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