井上 悠輔 教授(医療倫理学分野)が着任しました

お知らせ

 医療倫理学分野に着任しました井上悠輔です。どうぞよろしくお願いします。前の職場は、東京大学(医科学研究所・公共政策研究分野)であり、武藤香織先生の下、助教、准教授と計14年間おりました。関東には博士後期課程の途中からおり、その他の職歴も合わせ、ほぼ20年ぶりの関西復帰です。

 京都大学は総合大学ですので、いろいろな人がいますが、私もそうした変わり種の一人と言っていいのかもしれません。2001年度に京都大学文学部を卒業し、公衆衛生の大学院である社会健康医学系専攻に進学しました。人文・社会科学の人間が大学院に進学する際、卒業論文が重要な意味を持ちます。私は、明治時代の東京を舞台に、感染症流行と都市計画・スラムクリアランスをめぐる議論をテーマにした論文を書きました。今から思えばこの時の検討が医療・公衆衛生をめぐるELSI(倫理・法・社会問題)への歩みの始まりだったように思います。大学院では、小泉昭夫先生、赤林朗先生、木原正博先生に特に多くのご指導を受けました。

 医療・公衆衛生にとって「倫理」とは何でしょうか。今日では、ビジネスエシックス、AI倫理、環境倫理・・・などなど、「倫理」「エシカル」という言葉によく出会います。倫理は「エトス」が語源の一つとされていますが、これには「ある社会・集まりにおける価値観・信念」という意味があります。この議論が必要とされる状況・不足している世界というのは、混迷した社会でこそあれ、理想的な社会ではないとも言えます。日本の医療や研究の現場では、「倫理」に関連して多くの制度やガイドラインが策定されてきました。基準を設定することは、判断や行動が無秩序に陥らないための大事な知恵です。一方、こうした制度が個々人の判断の主体性を失わせていたり、場合によっては本来の倫理的な判断自体を妨げていたりすることはないか(いわゆる「モラル・ディストレス」)、その懸念にも目を配るべきでしょう。今ある制度が、本来の目的から離れてはいないか。人々の理解や認識と離れた方向に走ってはいないだろうか。今ある制度を遵守することは重要ですが、単にそれを求めるだけの「倫理」ではなく、既存の政策を点検し、社会の変化に応じて変えていく姿勢が求められます。こうした問題意識が、私自身の検討の支柱です。

 この領域は、医療現場での倫理(臨床倫理)、研究倫理、そして公衆衛生倫理の3つに分けられることが多いです。私はその中でも研究倫理の問題を中心に検討してきました。特に、個人の自己決定権の可能性と課題に直面することの多い、コホート研究やバイオバンク、死後の研究参加(ブレインバンク)など、公衆衛生とも接点の多い研究活動の倫理に関心を持っています。現在の判断基準を、過去から将来にかけて、世代を超えて連なる医科学の営みにどのように適用していくべきか。こうした視点には、スウェーデンのウプサラ大学における在外研究の影響も大きいと思います。また、医療AIや再生医療など、先端医療をめぐる倫理的諸課題に関する研究班も担当してきました。倫理では、一つの問題を解決することが、同時に新たな問題の提起につながることがよくあります(むしろその方が多いです)。学問と実践とのバランスは常に課題ですが、双方向に目配りして現場の課題に取り組んでいく姿勢を大事にしたいと思います。

 新型コロナウイルス感染症をめぐる一連の出来事は、従来の生命・医療倫理にとっても大きな教訓と課題を残すものとなりました。人々の多様な視点・価値観の集合体としての“パブリック”の視点に立った倫理の検討、医療・医科学と人文・社会科学領域との連携などに取り組んでまいります。学術的な取り組みとは別に、「倫理」には社会的な要請に応える重要な使命もあります。とりわけ、議論に参画できる倫理有識者、倫理審査や審査事務を支える人材やその教育者の養成は急務と考えています。

 4月1日の着任日、約20年前に京大病院で教務職員をしていた頃のことを覚えていた職員の方が、声をかけて下さりました。これからの時代、医療者・研究者を取り巻く環境は大きく変わり、「倫理」のあり方も変わる部分・変えなくてはいけない部分が出てくるでしょう。一方、温故知新という言葉があるように、変わらない価値や忘れられていた過去の経験に学ぶことも多くあると思います。こうした検討を、京都の地、そして京都大学で行う機会が与えられたことを、とても光栄に思います。どうぞご指導のほどよろしくお願いします。

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