【リレーエッセイ】 私の昆虫記―沖縄の蝶― (メディカルイノベーションセンター 中尾一和 特任教授、名誉教授)

お知らせ

戦後の食生活の変化のために最長寿県の座から転落した沖縄で健康加齢(Healthy Aging)についての講演を依頼されて、2月の初旬に沖縄に行ってきました。昆虫少年であったと話すと「首里城下にチョウを翔ばそう会」の会長を紹介され、沖縄の蝶について伺いました。オオゴマダラを「沖縄の県蝶」にすることを提案された方で、蝶舎を作り、飼育されているのです。その時、オオゴマダラの蛹を10頭頂きました。“ツタンカーメンのマスク”のような長径2-3㎝の黄金色の蛹です。ペンダントにしたい人もいると聞きました。そのうちの一つは黒くなっていて、これは羽化の兆候との説明でした。

帰京後2日目、金色の蛹を部屋に置いて眺めていましたが、朝まさに出かけようとしていた時に、何とその黒い蛹からもぞもぞと蝶の羽化が始まったのです(写真1)。くちゃくちゃの羽根と太い黒い胴体で出て来た蝶は、今脱出したばかりの蛹の殻にぶら下がったかと思えば、すぐにそのくちゃくちゃの羽根の翅脈にビューっと液体でも注入したかのように、みるみる羽根を伸ばしていき、あっという間に大きな白い美しい羽根を誇示するように広げました。

昔、私は昆虫少年で、故郷(兵庫県北部(但馬地方)で鳥取県境にある最高峰の氷ノ山山麓)の野山を捕虫網をもって蝶を追って走り回っておりました。乏しい知識を顧みず、知らない蝶を捕まえて、これは新種かもしれないと色めき立ち、モンシロチョウとモンキチョウの中間の新種の発見と大騒ぎして図鑑でツマキチョウだとわかり、がっかりしたこともありました。そんな冬の日、薪用の枯れ枝の中にアゲハ蝶の蛹が付いているのを見つけ、自分の部屋にその枯れ枝を持って帰り、親友のアドバイスに従って一冬時々霧吹きをしておりました。ある晴れた春の日、その蛹からアゲハ蝶が羽化し、まさに今のように瞬く間に美しい羽を広げ、春の大空に飛び立っていきました。その65年ほど昔の一コマをありありと思いだしました。

大学への出勤時間が迫っている私は、あらかじめネットで調べておいたように、大急ぎで小皿に薄い砂糖水を入れ、そこに蝶をつかんで口吻をその皿に押し当てました。蝶は、最初は嫌がっているようでしたが、少したつと口吻を伸ばして勢いよく吸いはじめました。慌てて外出し、夕方帰ってきますと蝶は静かにぶら下がって、ときどき羽ばたきなどしておりました。翌日の早朝にも無理やりに砂糖水をのませましが、オオゴマダラの抵抗感は徐々に減弱してきています。
部屋を暖かくしてみますと、ふわふわと居間の中を飛ぶようになりました。その白い大きな蝶がゆっくり翔ぶ様は本当に優雅で、青空の赤い首里城の前で、この美しい蝶が舞う様子をぜひ眺めてみたいものだと思いました。

実は、私も故郷で日本の国蝶であるオオムラサキの復活を何とかかなえられないかと願っている一人です。昆虫少年のもう一つの忘れられない鮮烈な思い出は、小学生高学年の頃、故郷の鎮守の森の櫟(くぬぎ)の大木で国蝶のオオムラサキを網で獲った時の手ごたえです。とても蝶とは思えない鳥を獲った様な強い重い感覚でした。しかし最近は帰郷してもオオムラサキやカブトムシの姿はなくなっており、植木屋さんになっている小中学校の同級生に依頼して、オオムラサキが卵を産み付ける榎(えのき)の苗木を取り寄せ、植樹してもらいました。その後、夏休みに訪れてみると、鹿の餌食にならないように、鉄作で囲ってくれていました。私の身長位の苗木ですから、オオムラサキがこの木に卵を産み、その幼虫がこの木で育ち、羽化して大空にはばたくまで何十年もかかるかもしれませんが、故郷の子供たちに野山に舞うオオムラサキの輝きをぜひ経験してほしいと願っています。昆虫採集を指導していただいた小学校の恩師が90歳を越えてお元気ですが、この榎の世話を買って出ていただき、喜んでいます。先生から子供の頃のオオムラサキの標本をいただきました。その標本も居間に置いています。健康加齢の時代とはいえ、小学生の頃から現在に至るまで、多くの恩師に恵まれたことに感謝です。

さてそのうちに、蛹は次々と羽化し、孫の家に行った2頭を合わせ、現在7頭の美しいオオゴマダラが誕生し、5頭は我が家の居間を飛び、窓際の観葉植物で休む生活で、それを見て楽しんでいます(写真2)。ガラス越しに見える御所の大木を飛び回っていると錯覚しているかもしれません。砂糖水の小皿に加えて、キウイやミカンも半切して吸えるようにしました。
しかし、彼らが沖縄のように大空に美しく羽ばたくことはありません。京都の寒い冬の気候は彼らには耐えられないので、この暖かい居間が彼らの全世界です。
いつまで元気で飛び続けてくれるかわかりませんが、私の京都大学での臨床研究者(Physician-Scientist)生活の原点とも思える昔の昆虫採集の思い出に浸りながら、出来るだけ長く彼らとの共同生活を、オオムラサキの標本のある居間(写真2)で楽しみたいと思っています。  2024年3月記



 写真1 


 写真2
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